tanaka617:

とりあえず10回吟じたわ。

tanaka617:

とりあえず10回吟じたわ。

冨樫義博が作り出した「話作り」のメソッドまとめ

(1)短編小説をどう膨らませるか考える。

(2)取材できる程度の真実よりも説得力のある嘘を描く。

(3)映画はただ観るのではなく、ダメなところを見つけ自分ならどうするか着想を得るために観る。

(4)キャラの掛け合い、動機などは作中に描かれなくても必ず描き出し(書き出し)ておく。

(5)キャラの動きに妥当性のない場合、その案がいくら面白くてもボツにする。

(6)極力キャラ達には、自らのキャラ性を活かして考えられる最高の解で死線を掻い潜らせる。

(7)これらすべてのメソッドは「冨樫義博」が編み出したものなので、ある個人には最適化出来ない。(アシスタントには結局適応できなかった)

(8)自分なりに同じ程度の領域に到達しなければ、冨樫を超える事は永遠に出来ない。

(出典: hotyummydudes)

“僕が、オタクがホモフォビア発言をする事に何でそんなに苛立つかというと、これが20年程前のオタクが受けた「こいつらどうせ弱者だしぶん殴っても反撃してこないからどんどんいじり倒そうぜ」と言う暴力を、今のオタクが最もみっともない方向に再生産している様に感じるからです。”
Q.pixivやTwitterでいくらでも発表できるのに、何故同人誌に拘るの?


A.随分ラジカルな疑問だと思いますが、こういう考えの人は多いです。
そして必ずといっていいほど絵を描いたことのない、普段見てるだけの人です。


いざ紙にする際の難しさや、本という現物になった時の喜び…なんてものを未経験者に説く気はありません。
しかし、クリエイターの端くれとして作家活動をする上で「金銭以上に作品の評価を保証するものはない」という
根源的な問題について、少し説明したいと思います。


pixivでブックマークを稼ぐ作品や、Twitterでfavを稼ぐ作品は、本当に評価されてるのでしょうか?
favもRTも点数もボタンひとつで気軽に入れられます。誰の懐も痛みません。
一方で同人誌は「面白いものを読ませて・見せてもらう対価」として身銭を切ってもらう世界です。
たとえそれが「印刷費や活動費の回収」という名目であっても、金銭を対価とすることにおいて商業との違いはありません。
むしろこれはプリミティブな形態の、商業市場の模倣だとすら思っています。


ネットで評価の高かった作品が、本で出してみたらまるっきり売れない…なんてそこら中で見る話です。
「タダで見れるから人気だった作品」と「みんながお金を出してでも見たい作品」は明確に異なります。


我々は何をもって作品の良し悪しを判断するのでしょうか?
自分でそう思うからでしょうか。人に言われるからでしょうか。ブクマされるからでしょうか。
あなたが「下手だな」と思ってる作家の殆ど全員が、自分の作品を「良い」と思ってます。
あなたの思っている作品の良し悪しの価値観を、世間の人は必ずしも共有してくれません。
作家を続けていくと必ずこういう根源的な問題に突き当たります。


その時に「誰が幾ら身銭を切ったか」以上に、この良し悪しを担保する客観的価値観がないことに気づきます。
pixivで点を入れられたり、TwitterでRTされるより何より、
「お金を出して買ってもらう」以上に、作家にとって嬉しく、また安心できることはないのです。
それはこの資本主義社会で一番大事な対価を、あろうことか自分の娯楽作品に対して支払ってくれたからです。


500円の同人誌は決して安くはないです。弁当屋で一食分の弁当が買えます。
もっとはるかにページ数が多く、クオリティの高い商業出版のコミックスだって買えます。
それをあえて自分の作品に支払って貰える、これ以上にクリエイターが
「何のために、何を目指して物を作るのか」という指標となり、原動力となるものはないと考えます。


ネット上に溢れる作品群は、ただただクリエイターの自己顕示や、あるいは善意によって公開されているもの
ばかりではありません。その世界で生きていく人は必ず「いつか誰かにお金を払ってもらうため」にやってます。
その上澄みばかりをタダで享受し続けることは、結果的に貴方自身のセンスをも麻痺させていきます。
“艦これにpixivのランキングが埋め尽くされてるのをみるとヘタリアが不謹慎だの擬人化キメェだの言われて2chで叩かれて晒されて特攻かけられて絵描きが消えていったり、国名で検索出ないように愛称タグ作ったり、ランキング出ないようにマイピク限定にしたりしたのは何だったんだろうって思う”